バート・レイノルズ
 
ネットを始めたのは7年程前になります。当時はまだISDNがステータスだったり、テレホーダイに加入することが常識であったり、私の目尻のしわがまだなかったり、おでこの後退もまだ僅かだったりした時代でした。時代という言葉を使いましたが、インターネットやパソコンの世界は日進月歩ですから、7年は実際ひと昔以上に時間が流れていることと思います。

さてそれ程までに流れの早い世界であり、今やネットが手軽になったという感覚をも通り越して、ほとんどライフラインの一部になったと言っても過言ではないでしょう。ネット上の銀行で何もかもが決済できますし、家に居ながら買物を済ませることもでき、死にたくなったら自殺掲示板で仲間だって探せちゃいます。素晴らしきライフラインです。

しかしながら、急速にネットが進化している一方で、ネットが悪影響を及ぼしたと考えられている問題も起きているのが現状です。実際のところ私は、「ネット=悪」という風潮には虫唾が走るのですが、メディアはまるで流行りのファッションのように、口を揃えて「ネットが悪い」と言います。自称専門家まで引っ張り出して「ネットが悪い」と言わせているので、ネットが悪いという考えがまるで通説のようになっているのではいでしょうか。

ネットは道具です。道具は人を殺しません。「昨夜未明、横浜市のasamaさんが頭を殴られ死んでいるのを近所の住人が発見し、警察に通報しました。駆けつけた警察官が近くにあった鈍器を殺人容疑で緊急逮捕しました。現在鈍器容疑者を取り調べしている模様です」などと道具が逮捕されたことが一体今までにありましたか。鈍器は道具であり、それを扱うのは人です。私は鈍器を人の頭を殴る以外に使い道が思いつきませんが、正しい使い道のある道具です。鈍器同様にネットも道具でしかなく、道具以外の何者でもありません。モバイル機器を持ち歩くのも鈍器持ち歩くのも、道具を持ち歩くということでは何ら変わらないわけです。

問題はそれが凶器になり得るかどうかです。鈍器は当然凶器になり得ます。火曜サスペンスで何度も鈍器で殴る場面を見ました。モバイル機器も、もちろんノートパソコンで人の頭をひっぱたくこともできますし、なにしろ言葉が凶器となり得ます。ですから、道具は道具でしかなく、そして道具は使い方次第でどのような凶器にもなり得るということです。

ネットが関連した事件において、それが大人の起こした事件であれば、当然物事の善悪が判断できなければならない大人なわけですから、それをネットに関連付けて考えるのは筋違いだと思います。しかしネットの低年齢化を考えた場合は、さすがにネットの影響を無視するわけにはいきません。私は物事の善悪を親や先生、そして近所の怖いおじさんに教わりました。誰しもそうだと思います。悪いことをすれば叱られるという制裁があるのです。しかし子どもにネット環境を与え、そして与えっぱなしの親というのはどうかと思います。丸腰でスラム街に放り投げるようなもんですよ。いつ言葉の凶器に襲われるかも知れず、逆に言葉の凶器を使ってしまうかもわからない環境です。スラム街に放り出すなら放り出すで、スラム街の歩き方を教えなきゃならないんですよ。無事にスラム街抜けたって次に待っているのは地雷原なんですから。

放り出す親に限って行政が悪いだの法整備が悪いだのと、何かと他人のせいにしたがるわけですが、多分ネットやったことないんでしょうね。誰でも簡単に出入りできるような掲示板には、日常のようにグロ画像なんかが貼ってあるわけです。私なんか廃れてしまってるんで、保存してアタック用画像にしちゃってますが。そして誰でも出入りできるゲームサイトでは、ゲームに負けただけでまるで挨拶みたいに「死ね」とか言っているわけです。とにかくそういう環境にどうして子どもを気軽に放り出せますか。エロ画像も見てみたいけど、そんな親の顔はもっと見てみたいです。

最近では子どもたちにネットのマナーなんかを行政ぐるみで教えているらしいです。むやみに小中学校にパソコン導入する一方で、ですけど。しかし行政なんて後手後手ですから仕方のないことですけど、早く現状に追い付いて欲しいとは思っています。
 
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