理論武装
 
運とかツキとか、そういった類のものはまず信じていません。基本的に賭け事に手を出す人は、自論というものを持っているわけですが、大抵それはオカルト派とデジタル派に大別できます。私はどちらかと問われたらデジタル派になるわけですが、カチカチのデジタルではありません。どちらかと言えば異端の一派ですね。異端というか、私の持つ公式のようなものが端から破綻していると、こういうことかもしれませんが。

だからといってオカルト派を否定しようと理論を展開するわけではありません。オカルト理論そのものを支持するわけではありませんが、オカルト理論に沿って賭け事をしている人は支持します。いや、そんなおかしな話ではありません。そもそも偶然に左右される賭け事というものは、具合が悪くなるまでに人知を尽くしても最終的には人知の届かない場所で決着するものです。ですから如何にして人知の範疇を広げるのか、そして人知の届かない場所を如何にして減らすのか。このあたりがその人の技量となって現れるものだと確信しております。そしてそれはマニュアル化されたものではなく、皆それぞれが独自の理論に沿った勝ちパターンを持っているわけです。ですからその勝ちパターンが素晴らしいものであれば、それは支持できる理論だというわけです。

最初に運とかツキを否定しておきながら、賭け事は偶然に左右されると述べましたが、私の中ではツキと偶然は別物として扱っています。全てをひっくるめてツキとしてしまうと、それは人知の及ばない場所を広げてしまうこととなり、「ツイてねー」で終わってしまうからです。「ツイてねー」で済ませてしまうと次に繋がるものを自ら捨ててしまうこととなります。ですからツキは、結果を判断する人の心の中にだけあるものだと考え、まずそれを否定、排除します。目に見える情報だけで判断し、偶然はそれを状況という言葉に置き換えて、できる限り目に見える情報として処理します。するとどうでしょうか、相当の部分は目に見えるものとなり、勝てば判断が正しかった、負ければ判断が間違っていたとして9割方人知の範疇で賭け事ができるのです。

ところで私、賭け事はひとつしかやらないんですが、その賭け事は普段からプロと呼ばれる人たちを相手にそこそこ渡り合っているんですよ。手前味噌ですが、やるからにはそれなりの自信と経験もあるわけです。その道でメシを食っていこうと考えたこともありました。しかしここ数年、負けが込んで相当参っています。ネコほどしかない脳みそをクロックアップまでして全力を尽くしても、どうしてもあと1歩が足りないのです。運やツキを否定するところから始まった私の異端デジタル理論。その理論と付き合い始めてからはや7年。私はある結論を導き出しました。

「私はひどくツイてない」
 
back