2003/01/03更新


夕刊フ* IT NEWSの記事は面白い

 とても面白いもの知っていますか? それは夕刊フ*、IT NEWSというページに掲載されている記事。いいなあー こんな記事を書いて飯が食えるとは。提督は以前からこのコーナーはあやしい。なんだかとってもあやしい。と、思ってはいた。でも、もしかしたら彼はギャグで書いていたり、比喩や例えでこんな冗談を言っているのに違いないと解釈していた。だって、タブロイド新聞とはいえ、こんないいかげんな記事をまじで書いているとは思えなかったから。でも、この記事をかいているライター達は、『本当はこいつコンピュータの事なんて全然知らないんだ。知ったかぶりやろうだ。』と、確信しました。本当は他人の書いた記事に対してこんな中傷はしたくはないが・・・。コンピュータ界の健全な成長を祈る提督としては(だってその世界で生きているから)、こんな記事を読んだ人が誤った知識を身につけ、 誤ったコンピュータ生活を送るのを見過ごすわけにはいかない!! 歎異抄の気持ちだ。

最新のお笑いオバカ記事にJUMP


ドリームキャストは128ビット級マシン 

 1999年01月07日発行のパソコンの達人コーナーでは、ドリームキャストの話が載っていた。CPUの所の説明にこんなふうにある。少し長いがそのまま転載する。

 『心臓部であるCPUは日立製作所製のSH-4。CPU単体は32ビットだが、浮動小数点演算器が4個あって同時に計算可能なため、128ビット級のマシンともいえる。動作周波数は200MHZで、CPU制御を簡素化するRISCチップを使用しており、パソコン並みの処理速度を誇る。』

 誰に聞いて書いたんだろう、この記事。128ビット級コンピュータか。まあ、ここまではぎりぎり許せるかも知れないが・・・。彼の書いている4個同時にというのはグラフィック演算用のレジスタが4個あり、これを同時に計算に利用できる事を意味する。(別の資料では32ビット×4か128ビットX1となっていた。どちらがただしいのだろう) 浮動小数点レジスタがnビットならnビットCPUだと言うのなら・・・。Pentiumは80ビットCPUになってしまう。後、nビットCPUという場合、レジスタ長で言わない場合も多いので注意が必要である。正しくCPUコア32ビットとか、レジスタ長32ビットとか言いましょう。達人なんだから。もっとヤバイのはRISCの説明。CPU制御を簡素化したらヤバイだろう。これだけな高性能なチップで。RISCの意味が分かってないぞお、こいつ。こんな基礎的な事も知らなくても達人になれるのか。RISCは簡素化された命令セットコンピュータだろう。簡素化された制御だったら、RCSCになっちゃうぞ。 じゃあ、この人はCISCを制御を複雑にしたコンピュータと訳すのかなあ。


MicroSoft

 1999年1月18日発行の記事。この日はMicroSoftの説明があった。今時こんなにMicroSoftに好意的な記事も珍しい・・・。では、記事を紹介。

『マイクロソフト・・・ 直訳すれば「とても小さくて、ふにゃふにゃなこと」。そのコンプレックスを跳ね返そうという不屈の闘志から、同名企業(MSと略されることもある)は世界最大のソフトメーカーに成長した。MSの経営者は、自分のムスコとも言える製品群すべてに、この「とても小さくてふにゃふにゃな・・・」という言葉を冠詞のように付けることにした。そして、製品群すべてにコンプレックスに打ち勝てるだけの教育を施した。その甲斐あって、彼らはとっても「大きく」て、とっても「固く」なった。おまけにすぐには「終わらない」耐久力を兼ね備えるにいたった』 

みなさん・・・。みなさんはこの記事を読んでどのように感じましたか? パソコンの達人というページに載せる内容だと思いましたか? できれば、彼はギャグで記事を書いていると思いたい。そのように感じませんか? マイクロソフトを、「とても小さくてふにゃふにゃな」と、解説。まあ、これは絶対にギャグで書いたと思います。そう思わなかったら・・・。でもね、どこの世界にコンプレックスを持たざるを得ない名前を会社名とする経営者がいるでしょうか? ましてや、あの、ビル・ゲイツが・・・。マイクロソフトの製品に、コンプレックスに打ち勝てるだけの教育を施した? とても良心ある人が作っているとは思えないあの製品に? 客にバグ出しをしてもらうあの製品に? 製品とも思えないあの製品に? どういう価値観でこの記事を書いているんだろう。すぐには終わらない耐久力を兼ね備えるにいたった? あ、そうか、あの事か。wordとかExcelがどこかに 飛んでって、Windows本体もにっちもさっちもいかなくなって、遮断さえできなくなるあの事か。そうか、きっとそうだよ。


MS−DOS

 1999年01月19日発行の記事から。MS−DOS。みなさん、知っていますね。パソコンの達人はこのように説明していました。知ったかぶりもこんだけどうどうと書かれると、みんな信じてしまうでしょうね。さすが達人。

 『MicroSoft Disk Operating System・・マイクロソフト製ハードディスク管理システム。単にDOSと略される事も多い。通常、OSとはコンピュータ資源(タスク、メモリー、ファイルシステム、ユーザー、通信回線、プリンターなど)を管理するが、これらの機能をすべて省いてハードディスクの簡易的名管理を行うためだけに作られたソフトがDOSである。かろうじてディスクの管理は何とかできるのだ。

 フーン、である。先ず,根本的に君は間違っている。MS−DOSが発売された当時(IBM PCが世に出たころ)は、ハードディスクが搭載されているパソコンはそんなになかったはず。MS−DOSは、フロッピーベースで使用していた時代の方が長い位じゃないかな。それにMS−DOSはディスクの管理だけを行っていたわけではない。確かにMS−DOSはOSと呼ぶには余りに貧弱だったけど・・・。ちゃんと資源管理だってやっていたと思うけどなあ。だって、プリンターやキーボードを使うとき、ハードやBIOSを意識して使ってないでしょう? 自分のプログラムを実行する為に、あなたはご自分でローダーを作りましたか? アドレス変換や使用済みメモリーの開放ロジックを、達人サンは自分で作りましたか? もし、そうなら、提督と一緒に仕事しましょう。いやー、三歩下がって提督に色々苦労話を聞かせてください。今後の為に。ね、達人さん。


オタク

またまたテクニカルライターさんが、パソコンの達人のページで面白い事を書いているので掲載しましょう。ちなみに提督は思いました。この人は99%の確立でソフトウェアーの開発経験がない。もし、あってこんな事を書いているとしたら・・・。絶対大規模開発のプロジェクトでは使いたくない。
1999年2月2日号
本文のまま掲載
『オタク
 ある特定の分野に対して異常なまでの興味と集中を示す人のこと。このような人々が互いを「お宅」と呼び合っていたことから、彼ら自身を指す言葉となった。特に「パソコンオタク」が有名。よくない意味で用いられる事が多い。
 人間の能力は限られている。一般には、その限られた能力を仕事、趣味、ファッション、人付き合いなどに分散させてしまう。だが、オタクたちは特定の分野に集中することで大きな成果をあげている。
 実はソフト開発技術は他の工業技術に比べてたいへん幼い。システムの信頼性がなかなか高まらないのは、開発技術が不十分だからである。ソフトの品質は技術師個人の能力に負うところが大きい。だが、天才はとても少なく、秀才では力不足である。
 ところが、パソコンオタクたちはソフトの開発やテストに異常な執着を見せる。ハンバーガーとコーラで腹を満たし、マシンに囲まれたまま寝起きし、服装にも健康にも気を使わない。その結果、秀才ではとても作れないできの良いソフトを生み出すのである。
 そんなわけで現代社会では、パソコンを与え、アニメを見せておけば、劣悪な労働条件にも文句を言わず、長時間労働に耐える事ができる、そんなパソコンオタクが不可欠なのだ。
 あなたは印象だけでお話しているでしょう。先ず、あなたは大きな商業プロジェクトについては、SEとプログラマーは分離されているという事に気づいているかね。SEさえも基本コンセプトを考える人や各サブシステムを考える人、プログラムデザインを考えて、プログラム設計を行なう人に分けられる。こんな基本的な事も分からずに書いているの? 確かに数百万単位の仕事だと、できる人がすべて行なってしまうことはあるけど。さて、ここで重要なのは、プログラマーの能力よりも、SEの能力である。私は長くこの業界で仕事をしてきて思うのだが、優れたコンピュータSEとは社交的な能力を持ち、浅くともよいから広い知識を持ち、自分の専門分野においては海よりも深い能力を持つ人の事である。断じて言うが「オタク」なだけでは、コンピュータ業界で大きな仕事を受け持つ事はできない。出来上がったプログラム仕様書を元にプログラムを作成する場合、そこに欲しいのはオタク的な技術ではなく、想定されたプログラミング言語に変換する能力である。又、ソフトウェアー開発技術を、他の工業技術と比べて、幼いと表現されるのはどうであろう。基本的にソフトウェアーは手作り以外方法がない。開発ツールは進歩していくでしょう。しかし、人間の発想をコンピュータ上で実行できる形に直していく技術・能力=ソフトウェアー技術と考えるのであるならば、永遠にソフトウェアーは手作り以外ありえない。これは、あなたが書いているコラムや、小説を工業的に作り出せる事ができるのかどうかと言う質問にも置き換える事ができる。あなたは、原稿用紙にして数10万枚にも及ぶ原稿を間違いなく書くことができますか?
 システムの信頼性が高まらないのは、開発技術が不十分だからとの指摘があるが、これはそうであろうとは思う。しかし、オタクがいれば大丈夫というわけではない。オタクも必要である事は認めるが、それよりも信頼性を高めるのに必要なのは、会社と技術者のプライドである。特に必要なのは責任SEのプライドで、十分なテストケースを考え出せ、テストを実行できるかにかかっている。テクニカルライターさんは知らないかもしれないが、某メーカーの汎用機の基本ソフトは、マイクロソフトに比べたら桁違いに優秀である。これらは、決してオタクの手により作られた物ではない。
 「ハンバーグとコーラで腹を満たし、マシンに囲まれたまま・・・」と、いう記述があるが、これは彼らが好き好んでやっているのではない。忙しい時には本当に帰れないのである。これはこの業界だけの話ではないと思うが、テクニカルライターさんはどう思う?

 何度も言うが、テクニカルライターという限り、知らないのなら書くな! 新聞でテクニカルライターという肩書きが付いて書いているいる限り、あなたの言う事はみんなに信用されてしまう。


DOS/V

 1999/04/20の記事から。今日、テクニカルライターさんはDOS/Vについて解説していた。まあ、全然違っているとは言わないけれど、少しだけいいかなあ。まあ、記事をそのまま掲載します。

『ドスブイと読む。死後になりつつある。わが国のパソコンメーカーは東方某大国からの情報侵略に対し、日本語を使用することで障壁を作って防衛していた。その障壁を破壊した戦略兵器がDOS/Vである。それまで、わが国では”旧八”と呼ばれるPCが主流であり、ROMに焼いたかな漢字を使用して高速に日本語を文字表示していた。同じ手段ではコストが増大するため、侵略国はわが国の市場に侵攻できなかった。よって、わが国は世界で唯一、独自のPCを作り、使う、情報鎖国を実施できた。だが、世界征服の野望に燃える大いなる憂鬱帝国は、高速になったCPUと増大したメモリーを駆使し、ソフトで日本語文字を表示できるようにした。これがDOS/Vである。Vは当時のビデオ規格のVGAのVだ。DOS/Vをフラグシップとした「世界標準アプリケーション」軍がわが国を襲ってから今年で10年目である。今や、DOS/Vは裏方に徹し、フラグシップはウィンドウズになった。連合国の盟主も微小軟体帝国にとって代わった。このため、DOS/Vパソコンといわれていたものは、現在ではウィンドウズパソコンという。そして、何時の間にかわが国防衛隊は敵の参加に入り、新旧八はウィンドウズパソコンになっていた。占領下にあって、読者ら善良な市民は防衛隊から敵製ソフトを売りつけられている。』


さてと・・・、どこが気に食わないかというと、東方某大国って、どこだ。わが国日本は極東に位置する。これ以上東に国はない。後、念の為に言っておくと、DOS/VというOSは日本製である。正確には日本IBM製。アメリカから来たわけではない。専用のハードウェアを必要とせず,ソフトウェアだけで日本語表示(漢字表示)を可能にしたDOSシステムの一般名称である。1990年に日本アイ・ビー・エムによって開発された。DOS/Vではソフトウェアだけで日本語の取り扱いを可能にしたため,アメリカなどで一般的なPC互換機(IBM PC/AT互換機)でも,日本語が扱えるようになった。DOS/Vの最初のバージョンは,IBM DOS J4.0/V(1990年10月リリース)である。これは,日本アイ・ビー・エムのPS/55シリーズで利用することを前提としていたが,このPS/55シリーズは一般的なPC互換機との互換性があり,DOS J4.0/VをこれらのPC互換機上で利用することもできた。日本アイ・ビー・エムは,DOS/Vに関連してOADG(Open Architecture Developer's Group)を組織し,DOS/Vの内部アーキテクチャなどを他のメーカーに公開して,広くDOS/Vを定着させる努力を行なった.スケールメリットを活かした高性能,低価格のPC互換機で日本語環境を構築できたため,DOS/Vはその後広く普及することになる。この後マイクロソフトは,日本アイ・ビー・エムと同等のDOS/V用モジュールを組み込んだMicrosoft MS−DOS/V Ver5.0を発表した。また、ROMでかな漢字を持っているだけでは高速に表示する事はできない。それにこの記事を読むとPC98が独自の文化を持っていたような錯覚を与える。PC98は完璧なMS−DOSマシンだったし、WINDOWSだって動いていた。早い話、今も昔もソフトウェアーはマイクロソフト製だったのだ。もし、そんなに日本の物にこだわるなら、日本メーカー製の基本ソフトを紹介してほしい。しいて言えばSHARPがMZシリーズ用に開発したF−DOS、X68000シリーズ用に開発したHuman68KとSX−WINDOWSくらいだ。繰り返し言うがNECのPC98は日本メーカー独自のソフトをもったPCではない。IBM−PC/ATの亜流でしかない。あー、もしかしたらテクニカルライターさんは、N88 BASICやDISK−BASICがNEC製だと思ったいた・・・!。残念でした。それもマイクロソフト製でした。
それにどうもハードとソフトを混同して記事を書いてるような気がする。気をつけてね。


2000年問題におけるCOBOL

 とある11月某日のパソコンの達人に、要約すればこんな記事が載っていた。『昔はコンピュータプログラムの開発にCOBOLという物が使われていた。読者の中でも昔学習した人がいるだろう。昔COBOLではデータ9999を処理の終わりとして認識してる事が多かった。その結果99年9月9日に問題が発生するのではないかと巷では恐れられていた。しかし、実際はコンピュータ内部では9月9日は0909と処理されるので、9999とはならない。誤った知識や噂に踊らされないように。』 さて、提督は何処が気に入らないのでしょうか? 最後の誤った知識や噂に踊らされないようにというのは賛成である。しかし・・・、君の記事自体が全然世間の噂の域を出ていないのだよ。COBOLと言う言語は、決して今、死んでしまっている言語ではない。今現在も次々にバージョンアップされ、多くのプログラマーが標準の言語として使用している。今でも汎用機を持っている企業で、COBOLコンパイラーを持っていないユーザーは皆無に等しいだろう。COBOLというのはそれほどメジャーな言語なのだ。パソコンや、小さ目のUNIXマシンで使われていないだけである。現在のCOBOLはオブジェクト思考も取り込んでおり、決して陳腐化した言語ではない。また、9999という数字がCOBOLでのみ、処理の終了サインとして使われた訳ではない。昔のコンピュータ教育では、何故か9999を処理の最後とするという風な教え方をしており、また、実際にそのような仕様書も多数存在する。COBOLだけの話ではない。

なぜ、こんな話をする人がプロのライターなのだろう。なぜ、この頃このような誤ったコンピュータ情報が氾濫しているのだろうか? 答えは、コンピュータがお手軽になり、誰でもがなんとなく使えるようになったからであるうか。曲がりなりにも情報処理やコンピュータの論理回路を学習した人たちの声は表に出ず、何となく独学でコンピュータを(趣味で)いじっている人たちがコンピュータの専門家のような気で記事を書いているか? それと良く似た話で、こんなのがある。あるコンピュータ教室で、講師がCPUの事を、トランジスタ何万個分を集めたLSIの一つであるみたいな事を説明したら、ある生徒が『トランジスタなんて今時使われていないのだから、その説明はおかしい。』と反論が出たそうで、教室は激論になったそうである。うーん、これも中途半端にコンピュータの知識を付けたばかりに、講師が誤っていると思い、こんな質問をしたのだろう。おそらく彼は、LSIもICもトランジスタの本当の意味も分っていないのだろう。半導体は、電気的な特性として、条件により電気を通したり通さなかったり、場合により増幅する。この作用を利用したのがダイオードやトランジスタであり、この性質は原子レベルの性質であり、理論的にはいくらでも小さくできる。要するにダイオードやトランジスタ回路をいくらでも小さくできるという事である。要するに、CPUは、トランジスタやダイオードを用いた論理回路のお化けなのである。ただ、それがシリコンチップの上に小さな回路として乗っている。


 


これは驚いた! Windows XPはUnixだった。

もしかしたら、今度ばかりはていとくが知らなかっただけかもしれない。誰か知ってた? Windows XPがUnixだったなんて。2002年1月23日の記事は以下の通り。
 今のマックには従来系統の「MacOS9.2」と新系統の「MacOS10.1」がプレインストールされている。この二つは全然違う。一見同じように見えるのはアップルの技術の賜物だ。グラフィックデザイナーや出版業界では、「9」や「8.5」を使い続けている。これはフォントやソフトの切り替えが難しいからだ。まだソフトもそろっていないし、費用もかかる。でも、私はXを使う。なぜなら、中身がUNIIXだからだ。
ウィンドウズもXPはUNIXなのだが、どうにもUNIXらしくない。その点、一般の人にはわかりづらいが、「X」はかなりUNIXぽい。 今までLinuxをメーンにしていたが、GUIなどの変化が激しすぎる。だからXをメーンにするのだ。

パソコンの達人のH.S氏。
ていとくは知らなかったよ、Windows XPがUnixだったとはどうりで信頼性が高いはずだ、XPは・・・??? 確かていとくの知識だと、XPはNTの設計思想を受け継いだOSと聞いているがどうだろう。じゃあ、NTはUnixだったのか? 本当か??? ていとくはWin2000のユーザーだが、Win2000もNTである。立ち上がり時にNTと出るもの。でも、どう考えてもWindowsはWindowsであってUnixではない。でも、同じくNTの流れのXPがUnixだという。どういうことだ?? ということは、XPではWindowsソフトウェアーは稼動できないのか? ウィンドウズもXPはUNIXなのだが、どうにもUNIXらしくない。とあるが、それはXPがUnixじゃないからではないのか?どうなんだ、達人。大体君はUnixって何だか知っているのか? UNIXとはPOSIXに準拠したシステムの事を指す。そこにGUIは含まれないと思っていたが。そしてLinuxのGUI部分は当然Unixではない。厳密に言えばLinuxでもない。LinuxとはLinuxカーネルの事だ。GUIは選択的に利用する物だ。あたらしいGUIがやなら、使わなければいい。


夢の”アウトソーシング”

 近頃のコンピュータ業界は、サービスビジネスをどのように展開するかで熱い。アウトソースビジネスはその中でも注目されている。アウトソースを行う目的は、各企業様々である。実はていとくも”アウトソース”に関する事を主な生業としている。でも、夕刊フ*の記事を読んで、ていとくは驚いた。ていとくは、アウトソースの意味を100%間違えていたのか??? そこにはこんな記事が書かれていた。『メールやデータベースなど、ネットワークを使用する業務が定着すると、社員全員が会社で仕事をする必要はない。今年の初めあたりから、わが社の社員も、海外と地方都市に移り住み、ネットで仕事をするようになった。 ”夢のアウトソーシング”態勢が整ったわけだが最初は難問山積だった。』 さてと・・・。外部からVPN等の技術等を使って社内ネットワークに入り込んだり、純粋にインターネットを用いて社外で仕事を行う事が、アウトソースとどこでリンクするのか? この記事は興味深々である。まさか、IT NEWの記事が、社外から社内のネットワークに接続したり、メールを用いて仕事をすること=アウトソースとは思っていないよね!? 記事は更に続く。『一番の問題は、組織にとって一番大切な報告・連絡・相談が機能しなくなってしまったことだ。ネットはもともと”個人化”を促進するものだけに、それは当然のこととも言える。』 間違えてる。ここまで読んで、かなりの確率で、こいつはアウトソースの意味を間違えている。 更に記事は、『僕自身、会社に出社せずとも仕事ができるようになった。そのため、自分自身の仕事に没頭できる時間が増え・・・』 だから、ネットで仕事をするのとアウトソースは違うんだってば、根本的に! 『グループウェアの活用によって出社も週1回で済むようになった。社長の身で”週1回出社”とはなんとも複雑な気持ちだが・・・』 あんた、社長だったの!!! 社長、社長は会社のIT関連の企画には口を出さない方が良いと思うよ。 ちなみにグループウェアもアウトソースとは何の関係もないからね、念の為。最後にこのように締めくくられている。『ネットワークによる効率化は、人間的なゆとりと仕事の効率化を生み出したのだ。』 あら、分かっているのね。あなたの記事はアウトソースに関する事は書かれていなくて、ネットワークによる効率化の事を書いていたのだと。この記事を書いた人の肩書きは”プランナー”らしい。こんな人にプランを頼みにくいなあ



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