| ・どうしてシッダールタは出家したのか |
それは、生、老、病、死から完全な脱却を目指す為といわれています。仏教経典の中で自らこのように語ったと伝えられています。
『教えを聞かない凡人は、自分も老いるものであり、老いを超えることができないのに、他人が老いたのを見て、自分だけはやり過ごし、戸惑い、閉口し、忌避する。私もまた老いるものであり、老いを超えることはできない。老いるものであり、老いを超えることがない私が、他人が老いたのを見て、戸惑い、閉口し、忌避するとしたら、それは私にふさわしことではない』と。比丘たちよ、私がこのように考察しているとき、青春における青春のおごりはすっかり消滅してしまった。(以上、講談社 仏陀の生涯より抜粋)
これと同じく病、死について同じように語られています。
| ・修行時代の師 |
講談社 学術文庫 「仏教聖典」によると、次のように書かれています。(文体は現代語に変えて要約して記述しています)
こうして私は修行者となり、いかなるものにもすべて善なるものを求め、寂静の道を求めて、賢者アーラーラー・カーラーマの許に行き、こう言った。「賢者カーラーマ、私はこの法と律とにおいて清き行を修めんと願います。」 カーラーマは答えて、「尊者、留まりなさい。この法は知恵あるの者はしばらくすればその師に等しく自ら知り、自ら証り、自ら達する法です。」 私はしばらくしてその法を学び得た。すなわち私は師より聞いた言葉を伝え、自らその智を得て長老の言葉を語るようになった。「私は知見した。」と、自他ともに許すにいたった。私はこのように思った。「カーラーマはこの法を自ら知り、自ら証り、自ら達したと述べ、説いているのではない。本当にカーラーマはみずからこの法を知見しているのだろうか」 私はこのように聞いた。「賢者カーラーマは、どの程度にこの教えを自ら明らかに知り、私達に説くのでしょうか」 このように問われ、彼は無所有処(何ものもそこに存在しないことを悟る境地)を述説いた。カーラーマはこう言った。「尊者、このような尊者を同行に持つ私はまことに幸せである。このように私が自ら知り自ら証り、自ら達して述べ説かんとす
るその法を、あなたも知った。尊者よ、二人でこのつどいを護っていこう。」 しかし私はこのように思った。「この法は涅槃に導くことなし。」 わたしは彼の法にあき足らずアーラーラー・カーラーマのもとを去った。わたしは寂静の道を求め、ウッダカ・ラーマブッダのもとを尋ね修行をし、非想非非想処(思いがあるのでもなく、ないのでもないと悟る境地)を得たが、その教えにもあきたらず師のもとを去った。こうして私は、いかなるものにも善を求め、寂静の道を求めつつ、マガタ国の諸方を遊行して、ウルヴェーラーのセーナ村に入った。そこは美しい土地であった。私はこのように思った。「この愛すべき土地こそ、まことに修行に励むに適しているところである」 こうして私はそのところに座った。
| ・苦行 |
シッダールタという表記は長いし、皆さんにも馴染みのない名前でしょうから、ここからはシッダールタの事を釈迦と表記させてもらいます。
さて、今でもインドでは苦行は当たり前の修行法らしいのですが、釈迦時代のインドでも大変ポピュラーで当たり前の修行法だったようです。釈迦はウルヴェーラーの地で苦行に励みます。相当激しい苦行を続けたようで、その様子を経典は次にように伝えています。
「かくて道を求める人は賢者のもとを去り、進みてこの静かなる所に留まった。ここで体を苦しめ日に一麻一米(一粒の胡麻と一粒の米)以外は口にせず、苦行すること六年。立とうと思えば前に倒れ、座ろうと思えば後ろに倒れる。息も途切れ途切れである。髪はよもぎのようになり、目はくぼみ落ち、骨はあらわれて、腹の皮と背の皮とがくっつきそうになった。しかし、悟りを得ることはなかった。この時歌をうたって通る農夫の声が聞こえてきた。
『絃は強すぎると切れる。弱いと弱いでまた鳴らぬ。程ほどの調子にしめて、上手にかき鳴らすが良い』
釈尊はこの歌でひらめき苦行を捨てた」
この時、村の娘スジャータが、釈尊に乳粥を施したそうです。昔、コーヒーにスジャータというコマーシャルがありましたが、ここから来ている(ミルク=乳)かも知れません。こと時釈尊は次の様に言ったと経典には書かれています。
『心はよろずの思いの本をなすもの。渇愛の本を断つには智慧をもってすればよい。体を敵のごとく見るべきではない。』
こうして釈尊は菩提樹の下に坐し、『私はよく煩悩を滅し尽くすまでは、かならずこの座を解かない。』 と念じて、懸命に思索精進を続けたそうです。
釈尊がそう心に決めたとき、悪魔が現れ、釈尊にこのように語ったと経典にあります。(相応部経典第四『悪魔相応』 角川選書 仏陀より要約)
「苦行を修しつづければこそ、若き人々は清められるのである。清き道をさまよい離れて、浄からずして、なんじは清と思う」 しかし、釈迦は、それを悪魔の業と見ぬき、偈をもって答えました。『陸に上げられた船のろと舵は、何の利ももたらさない。不死を願い苦行を行っても、また、何の利ももたらさないと知る。私は、戒と定と智慧をもて、この自覚の道をおさめ、上なき清浄にいたりつく。破壊者よ、汝は敗れたのである。』 かくて、悪魔は「世尊はすでに私の正体を知っている。」と、苦しみ恐れてその姿を隠しました。
| ・成道 |
釈迦は菩提樹の下でついに悟ります。釈迦は七日の間座禅を解かずに、自分の悟った真理を楽しんだと経典にあります。では、その悟りの内容とは何だったのでしょうか? 学術的には縁起の法であったと言われています。律蔵大品にはこのように書かれています。「時に世尊は、その夜の初夜において、縁起を順逆に思い起こした。無明によって行いが生じ、行いによって識が生まれる。織によって名色が生まれ、名色によって六処が生まれる。六処によって触が生まれ、触により受が生まれ、受によって愛が生まれる。愛により取が生まれ、取から有が生じる。有によって生が生じ、生によって老死が生まれ、すべての苦しみが生まれる・・・。」かなり分かり難いですが、別の経典には次のようにも出ています。「これあるに縁りてかれあり。これ生ずるによりてかれ生じる。これなきに縁りてかれなし。これ滅するに縁りてかれ滅す。」