(1999/02/11)

成道から伝導へ

梵天勧請

鹿野苑

伝導の宣言


梵天勧請

 釈尊が菩提樹の下で悟りを開いてからの、釈尊の感情の様子を、古い経典から窺い知ることができます。釈尊は説法を開始するまでの数十日間をそこで過ごしたと言われています。相応部経典には次のように記載されています。
「その時、世尊(釈尊の事・釈迦牟尼世尊)は、ひとり坐し、静かに観じて次のように考えもうた。『尊敬するところのものもなく、教敬するところのものなき生活は苦しい。われは如何なる沙門もしくは婆羅門を敬い、尊び、近づきて住すべきであろうか』と」 そして、この続きとしてこのように記載されています。「われはむしろ、わが悟りし法、この法こそを、尊び敬い、近づきて住すべきである」 これは仏教を学ぶ者にとって、とても重要な言葉であると思います。多くの宗教においては、教祖や宗祖、すなわち人によって信仰を確立することが説かれています。しかしながら、釈尊自身の言葉として、人に依るのではなく、法に依るべきだと言っているのです。釈尊がこのような結論に到達した時に、梵天が現れ次のような偈を説いたとされています。

 「いにしえの正覚者も、
  未来の諸仏も、また現在の正覚者にして、衆正のもろもろの憂い悩みを除くであろう人も、
  すべて正法を尊び敬いて、かって住したまい、
  いまも住したまい、また、未来も住したもうであろう。
  このことは、もろもろの仏にとりて、法として然るのである。
  このゆえに、おのれの利益を願い、勝れたる人たらんと望むものは、
  仏の教えを億念しつつ、正法を尊び敬わねばならぬ」

 釈尊は、成道後直ちに、人々に自分の悟った内容について伝導をしようとは思わなかったようです。この智慧の内容ははなはだ微妙なるゆえに、人々には理解できないだろうと考えていました。経典では次のように記載されています。

 「困苦してわが証得せるところを、
 何ぞ迷いの中の人々に説こうぞ。
 貪りと嗔りと痴さの中にある者に、
 この法を悟らんことは容易にあらず。
 これは世の常の流れに逆らい、
 微妙にして難解なれば、
 欲貪に汚れ、闇に覆われし者は、
 見ることを得ないであろう」

 この世界の最高神であるある梵天は、釈尊の気持ちが正法の伝導に傾いてないことを知ると、「如来は説法を欲せず、沈黙を思っている。それでは世間は壊滅のほかはない」 と思い、釈尊の前に現れます。その様子が律蔵・大品では次のように記述されています。「そこで世界の主、梵天はあたかも力持ちの男が曲げた腕を伸ばし、伸ばした腕を曲げるように、たちどころに梵天界から消えて、世尊の前に現れた。そして世界の主、梵天は一方の肩に上衣をかけ、右の膝を地につけ、世尊に向かって合掌して、世尊に次のように言った。『尊い方よ、願わくは法を説きたまえ。善逝、願わくは法を説かせられたまえ。有情にして塵垢少なき者もあるが、もし法を聞かずば、退堕するであろう。もし法を聞くを得ば悟りうるであろう』 梵天は三度繰り返し求めた」
 このように言われたとき、釈尊は悟った者の眼で世間を観察し、生きるもの達の中に汚れの少ないもの達もいることを知り、梵天に偈をもって答えました。

 「耳ある者たちに不死へのもろもろの門は開かれた。
 浄信を発せ。
 梵天よ、人々を害するであろうかと案じて、
 私は熟知した、すぐれた教えを人々に向かって説かなかったのだ。」
 
 梵天は釈尊が教えを説くためのきっかけを作ることができたと思い、釈尊に敬礼をし、釈尊の周りを右回りにまわり、姿を消したのです。
 釈尊の出家の目的は、自己の悩みの解決でした。従って悟った時にその目的は達成されたわけで、何もその内容を人々に説く必要はないわけです。説くのをやめようと思っていても何ら不思議はありません。では、何故、釈尊は人々に悟りの内容を説こうとしたのでしょうか? この梵天勧請の説話の、本当の意味するところは何なのでしょうか?
考えて見るのも面白いでしょう。



鹿野苑



 釈尊は説法を決意します。問題は、誰に初めに説くべきかと言う事です。経典には次のように記載されています。「誰に対して、まず私はこの法を説くべきであろうか。すみやかにこの法を理解しうるものは誰であろうか」 釈尊は、かってその下で学んだことのあるアーラーラー・カーラーマや、ウッダカ・ラーマプッタを思い浮かべました。しかし、彼らはすでに死んでいました。次に釈尊は五人の修行者のことを思い浮かべました。彼らはかって、釈尊の修行中にさまざまな援助を行ってくれた人々でした。今は鹿野苑(ミガダーヤ)にいます。釈尊は五人に法を説くために鹿野苑に向かいました。
 始め五人の比丘たちは、釈尊の教えを聞くことに抵抗します。それでも、釈尊に説きふされ、釈尊の教えを聞くこととなります。その時説かれた最初の教えは「中道」だったとされています。経典には次のように述べられています。

 「比丘たちよ、これら二つの極端は出家した者が近づいてはならないものである。二つとは何であるか。それは一つには、もろもろの欲望の対象においての歓楽の生活に耽ることで、下劣で、卑しく、凡俗の者のすることであり、聖なる道を行う者のするものではなく、真の目的にそわないものである。また、それは二つには、自分を苦しめる事に耽ることで、苦しく、聖なる道を行う者のするものではなく、真の目的にそわないものである。比丘たちよ、これらの二つの極端に近づくことなく、如来は中道を悟った。この中道は、真理を見る目を生じ、真理を知る知を生じ、心の静けさ、すぐれた智慧、正しい悟り、涅槃へと導く」
 
 では、どのような行為が中道なのでしょうか? 続いて釈尊は「八正道」と呼ばれる教えを説きます。

 「比丘たちよ、何をか中道となすか。それは、すなわち八つの正道である。正見、正思、正語、正業、正命、ならびに、正精進、正念、正定である。比丘たちよ、これらが如来の悟得せるところの中道であって、これは眼を開き、智を発し、寂静を得しめ、涅槃におもむかせるであろう」

 中とは極端を離れることをいいます。それが正しいこととすることです。快楽の極端に走らず、禁欲の極端にも走らない。次に釈尊は仏教の根本的な教えである「四諦」と呼ばれる説法を行います。

 「比丘たちよ、苦しみに関する聖なる真理とは次のようである。生まれることも苦しみであり、老いることも苦しみであり、病むことも苦しみであり、死ぬことも苦しみであり、憎い者達と会うことも苦しみであり、愛する者達と分かれることも苦しみであり、求めても手に入らないことも苦しみであり、執着を起こすもとである身心、環境すべても苦しみである」

 これは「苦諦」と呼ばれる説法です。俗にいう四苦八苦はこのことを指します。生・老・病・死が四苦、これに怨憎会苦・愛別離苦・求不得苦・五取蘊苦を会わせて八苦です。釈尊の教えは、この世の根本が苦である事を認識する事から始まると思います。

 「比丘達よ、苦しみを引き起こす原因に関する聖なる真理とは、次のようである。これは再び迷いの生に導き、喜悦と貪欲をともない、あちらこちらに快楽を求めていく欲望である。すなわち愛欲と生存欲と権勢・繁栄欲である」

 これは「集諦」と呼ばれる説法です。苦しみの原因は欲望にあるとしています。

 「比丘達よ、苦しみを消滅することに関する聖なる真理とは、次のようである。その欲望を完全に離れ去ることが消滅することであり、欲望を棄捨すること、捨離すること、離脱すること、執着を去ることである」

 これは「滅諦」と呼ばれる説法です。苦しみを滅するには、欲望と執着からの離脱が必要であることを説きます。

 「比丘達よ、苦しみを消滅することへ導く道に関する聖なる真理とは、次のようである。これこそ聖なる八つの道である。すなわち、正しい見解、正しい思考、正しい言葉、正しい行為、正しい生活、正しい努力、正しい念慮、正しい三昧である」

 これは「道諦」と呼ばれる教えで、苦しみを消滅させるための具体的な方法を述べています。これは前述の八正道です。釈尊は悟りへ向かうには先ず中道が必要であると説いています。中道の行為が八正道であると考えれば、中道こそが苦しみから逃れる方法なのです。

 五人の比丘達はこの後、釈尊に帰依します。そこで釈尊は「無我」を説きます。

 「比丘達よ、形あるもの(色)は、自我のないもの(無我)である。比丘達よ、もしもこの形あるものが、自我であるのならば、この形のあるものは病気にならないであろうし、またかたちのあるものについて『私のかたちのあるものはこうであれ』とか『私の形のあるものはこのようであってはならない』ということができるであろう。しかし、比丘達よ、形あるものは自我のないものであるから、形のあるものは病気になり、また形のあるものについて『私のかたちのあるものはこうであれ』とか『私の形のあるものはこのようであってはならない』ということはできないのである」

 ここでいう形あるものとは、人間の体のことをいいます。人は自分の髪、自分の顔、自分の手といった言い方をしますが、実はそれはどこを取ろうとも我ではないと説いています。もし、自分のものならば自分の自由にできるだろうに、それらはそうはならないだろうといっているわけです。以下、この後、心や感覚、意識についてもすべて否定していきます。

 


 

伝導の宣言


 釈尊がまだ鹿野苑に滞在している間に、噂を聞きつけ、出家を希望する人々はだんだんに増えてきました。出家を望む者がいると、釈尊はその者の所に出向いたり、比丘がその者を釈尊の所に連れてきて出家を許していました。この方法は不便であり、道理にかなったことでもないと釈尊は思いました。
 「比丘達よ、わたしは今、静かにひとり座しているとき、心に思った。汝らは諸方から出家を希望する者をつれ来って、わたしに戒を授けさせる。そのために、なんじらも疲れ、出家の希望者も疲れる。わたしはむしろ、なんじらに戒を授けることを許し、なんじらを諸方につかわしたい」
 このようにして61人の比丘達が、釈尊の教えを広めるために、人々の間に送り出されることになります。
 「比丘達よ、わたしは人間の一切のきずなを脱し、なんじらもまた人間の一切のきずなを脱した。比丘達よ、いまや、多くの人々の利益と幸福のために、世間をあわれみ、その利益と幸福のために、諸国をめぐり歩くがよい。一つの道を二人してゆかぬがよい。比丘達よ、初めも善く、中ごろも善く、終わりも善く、義しき道理と表現とを兼ね備えた法を説くがよい。すべてにゆき渡れる、清らかな修行を教えるがよい。汚れの少ない生を受けていても、正しき法を聞かざるがゆえに滅びゆく人々もある。彼らは、法を聞かば信じ受けるであろう。比丘達よ、わたしもまた、法を宣べ伝えんがために、これよりウルヴェーラのセナーニ村に行こう」
 
わたしたちは、イエス・キリストが、その十二人の弟子を初めて伝導に送り出すときに、彼らに与えた言葉を思い出さなければなりません。彼らは二人ずつ派遣され、「我、なんじらを遣わすは、羊を狼の群れの中に入れるがごとし。」と語られています。釈尊は「世間はわれと争う。されど我は世間と争わず」とも言っています。釈尊の理解するところによれば、この世界の存在のしかたは、対立性の物ではなく相依性の物でした。となれば、恨み、怒りをもって世間の人々と相対するべきではありません。徹底的な平和主義でした。(どこかの戦闘的な仏教の皮をかぶった新興教団、よく考えて行動しろよ)


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