1999/10/24 更新


特集 人工知能について考える


 このページのインデックス

 提督は思うのです

 人工知能って何だろう?
 
 知能と感情の分離が提督は必要だと思うのです。

 はたして未来は?

  このページの作成にあたり、オーム社 矢田 光治編 ’AI入門’を参考にさせて頂きました。
 


提督は思うのです

 提督は思うのです。この頃電子ペットやそれに類する物が流行っている。AIBO、SEA−MAN、ファビー人形、たまごっちだって考えようによっては。これらは計算により、あたかも実際の生物のようなまねをする。コンピュータは生物を真似所まで来たのだろうか? 何て考えている時に、夕刊フ○のパソコンの達人で人工知能について知ったかぶりに書いてあった。曰く、『知能そのものが良く分かっていないのに、人工知能なんてできているはずが無い。それは計算によるまやかしである。』と、言うような趣旨が書いてあった。提督はこの人は本当に根本的な過ちをしているとまた感じてしまった。人工知能とは、どういうものなのか、パソコンの達人さんはどう思っているのかと。そこで・・・、少し内容は重くなるけど、人工知能について、提督が知る範囲で述べて見たい。でも、提督の知っている学術的、技術的な知識は10年ぐらい前のものなので、あしからず。


人工知能って何だろう?

 そもそも、人工知能って何だろう? 提督は前の会社の最後の頃(10年位前)、AI研究タスクというのに入って活動をしていた。人工知能を実際の業務にどれだけ取り入れることができるかが研究のテーマだった。と、いうことはその当時すでに、人工知能はある程度研究され、実用の段階に入っていた事になる。夕刊フ○の記述とちょっと異なるなあ。そもそも世の人々は人工知能に何を求めているのだろう。学術的にはどうなの? て、事で、提督が10年前に学習した知識を少しばかり。
 人工知能の事を略してAIという。これは、Artifical Intelligenceの略である。
人間の持つ知的行動を、コンピュータ上に実現しようというのがAIらしい。例えば

 等があげられる。どうでしょう、これらはどれも程度の問題はあるが、現在コンピュータで実現されている。
 また、AIには二つのアプローチがあるといわれている。ひとつは工学的アプローチと呼ばれ、もうひとつは認知科学的アプローチと呼ばれている。

工学的アプローチ 人にできる事を機械にやらせてみようというアプローチ。人間の知的能力をいかにコンピュータ上に移植するかを問題とする。
認知科学的アプローチ 人はどの様に考えるかという、アプローチの仕方である。これは認知心理学といった、心理学の分野と深く関わってくる。認知心理学自体は比較的新しい学問であり、認知心理学はこういう物だと定義する事は難しい。認知科学的アプローチは、人間がどの様に考えたり理解したりするかを、コンピュータ上にシュミレーションして解明しようとする事を問題とする。

 

この二つは、はっきりと分離しているわけではなく、お互いに密接に関連している

 AIには多枝にわたる研究分野がある

問題解決・探索 パズルを解いたり知的なゲームを行うプログラムを作ることは、問題解決と探索を行っている事になる。パズルやゲームでは、扱うデータ量や範囲が実際の事象と比較してはるかに少ない為に、問題解決や探索の研究を行うのに適した材料となるこの分野のパソコンソフトは巷にあふれている。
知識表現 問題を解くのに必要な知識・情報をコンピュータで処理できる形に表現する必要がある。この形式を知識表現といい、対象に応じて様々な形が考えられる。例えば’橋の上に赤い服を着た可愛い女の子がいる’という事象に対する知識表現として、
人(X):−性別(女性(容姿(可愛い)),服(赤色),場所(橋の上)
推論 一定の知識表現形式で表現された事実、又は事実間の関連を記述したルールを操作する事により、知識としてはっきり記述されていない事を引きずり出すことを推論という。例えば、
・太郎は次郎と母親が同じである   −−−事実
・太郎は18歳である        −−−事実
・次郎は16歳である        −−−事実
・母親が同じであるならば兄弟である −−−ルール
・兄弟は兄の方が年上である     −−−ルール
これらより推論を行う
(太郎と次郎は兄弟)        −−−推論
(太郎は次郎の兄)         −−−推論
自然言語理解 普段、我々が用いている言語を自然言語という。もし、コンピュータに普段我々が使用している言葉で命令が行えたなら、マンマシンインタフェースは飛躍的に向上する。これとは別に、英語から日本語、日本語から韓国語というようなコンピュータによる自動翻訳の研究も進められている。翻訳の王様とかEtoJとか、パソコンソフトもたくさん出ている。
音声理解 音声理解とは、人間が発生した言語をコンピュータに理解させようというものである。声でAptiva。音声理解はその性格上、前述の自然言語理解と密接な関係にある。ここでの問題は、音声認識したパターンを、どのように理解するかが問題となっている。更に、自然言語処理、音声理解共通の問題点として、曖昧で確定的でない自然言語をいかに処理するかがあげられる。
 
話がわかる=音声を聞く−>音声を認識する−>言葉を理解する
知識ベースシステム エキスパートシステムとも呼ばれる。特定分野の専門知識を、知識ベースとして蓄えておき、ある問題が発生したときに、知識ベースの情報と推論メカニズムを用いて問題を解決したり、利用者へのコンサルティングを行うシステムを知識ベースシステムという。この種のシステムでは、推論の過程などに発生した必要な情報を、ユーザーや外部から求めるため、その為のインタフェースも重要になってくる。この分野の課題は、実用に耐えうるほどの非常に多くのヒューリスティックな知識を、いかに表現し蓄え使用することができるかという事である。提督が前の会社で研究していたのはこの分野で、現在もっとも実用化が進んでいると言われてる。(10年前は。今は音声理解や自然言語処理も相当実用化が進んでいるし。)
自動プログラミング 人間の思考に近い形式に即した言語(自然言語)でプログラムの記述を行い、それをコンピュータによってプログラミング言語に変換する研究が進められている。自動プログラミングに入力する為の記述を仕様記述と言い、プログラムと区別している
知的CAI コンピュータの教育への応用は、大別して次の二つが考えられる。
1.成績の処理や、時間割の管理などの教育にまつわる様々なデータ処理
2.従来人間の手で行われていた教育の一部、または全てをコンピュータに代行させる。
前者をCMIと言う
(Computer Managed Instruction)
後者をCAIと言う
(Computer Aided   Instruction)

知識ベースシステム概念図)




知能と感情の分離が提督は必要だと思うのです

 そもそも、人間の知的行動をコンピュータに行わせようと言う事が人工知能(AI)の定義らば、程度の問題とできることを限定すれば、コンピュータという機械はそのものが人工知能と呼べるだろう。コンピュータが生まれた背景は、高速に自動的に計算をさせることができる機械を求めた結果だった。なにしろ弾道計算の為に生まれたのだから。この計算という行為自体が’知能’と呼べるものではないだろうか? 1+1=2、2+2=4になる。この計算という行動そのものが’知能’であると提督は思う。チェスはもはや世界チャンピオンより強い。将棋はアマチュアの2段くらいの実力。オセロも相当強い。当然これらのゲームを行う能力は知能だ。口の悪い人は計算の結果求められる結果であると言うかもしれない。その通りである。でも、コンピュータは計算により、人間の知能をシュミレーションしている事に間違いは無い。コンピュータは人間の知能を計算により真似ることが可能な機械だと提督は言い切りたい。程度の問題はあるけどね。
 だが、世間一般の人、および夕刊○ジのパソコンの達人は、コンピュータが知能を持つ事ができるという事に否定的である。提督は考えた。どうも
知能と感情および感覚とを分けて考えてないのではないか? 人間は手に詰まった時とんでもない事をする。愛しい人に相手にされなくてストーカーになる。または、愛する人の為に全てを投げ出す。気持ちと反対の事をする。見栄をはる。必要以上に欲しがる。他人に同情して泣く、悲しくて何も考えなくなる。世間の人々はこのような事をコンピュータに求めてはいないか? ようは日本には優秀なロボット漫画があった。そう、鉄腕アトム。あのような感情を持ったロボットがAIを持つロボット(コンピュータ)と思っていないか? だから、AIBOやシーマン、ファービー人形が出たときにAIの特集が新聞で組まれ、パソコンの達人により否定されるのではないだろうか? ロボットに感情が必要かどうかの議論は避けるとして、提督がはっきり主張するのは、AIを論じるときに感情は必ずしも必要条件ではなく、ある程度分けて考えるべきだと言うことである。人間は感情により、幸せになったり、苦しみの世界に身を置いたりする。そういうロボットを提督は見たくないなあ。


はたして未来は?

 いま現在巷に溢れている商品や物を見ると、近い将来本当に人型のロボットができて、人間と会話をするのではないかと考えてしまう。ホンダの二足歩行ロボットは驚愕だ。IBMの’声でAptiva’にもビックリだ。同じくIBMの読み上げ君も大笑い。パソコンゲームは思考回路を改良し、かなり強くなってきている。今日は笑っているような事が、明日は現実になっているかも知れない。’自然言語’を普通に処理できる知能を持った、ロボット(コンピュータ)が出現することを提督は期待する。IBMのVia Voice Calroは、簡単な会話が可能だ。でも、そんなロボット(人工知能)が完成した時、感情だけは移植しないで欲しい。気分によってやってくれないんじゃ困るもの。それに感情に苦しむ生き物? を、わざわざ作るというのも・・・。


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